大人になったとみなされるためには、社会の中にある所与の規範——常識に従って思考しなければならない、自分が持つ性別に即したふるまいや身体を身につけねばならない、欲望の発散はTPOをわきまえて行わなければならない……——へと身を委ねて、そこに適合した(身体を持つ)存在として自らを形成する必要がある。成熟をこうした適合のプロセスとして捉える認識はいうまでもなく浸透しているし、現在の社会において規範とされているものへの問い直しは、現在でもなお進行している。

上記のような認識とともに子どもをまなざすとき、人はしばしばその未成熟性に積極的な可能性を見出す。こういうふうにふるまったり思考したりしなければいけない、という枠組みに縛られていないために、縦横無尽に動き回ったり自由自在に想像力を発揮したりすることが可能で、また身体的な意味でも社会的な意味でも十分には性的に「成熟」していないために(二つの意味がそう厳密に分けられるものではない点には注意を払うべきだが)、性別に縛られすぎることもなかったりする、ようするに脱規範的な存在。このようなかたちで、規範的な文化を撹乱する可能性を子どもへと見出す戦略は、実際のところ芸術のなかにしばしば見られるものだ(註1)。

もちろん、子どもと成熟した存在=大人を対置して撹乱者としての前者の側につく、という二項対立的な発想には様々な問題があり(註2)、最終的にはここから脱却することを目指すべきだろう。とはいえ、こうした二項対立が生じる場への批判的な検討を執拗に続けることで、成熟や(脱)規範性を別の仕方で思考するためのヒントを得ることも可能なのではないか。以下ではこの観点から奈良美智の実践を部分的に検討し、実践の総体、ひいては未成熟なもの全般についてさらに探究していくための端緒としたい。

先にまとめた発想が奈良に認められるということは、その作品に触れたことのある人々にとってはある程度自明だろう。奈良の芸術実践において主な題材となっているのは、言うまでもなく独特のまなざしとパーツの配置とを持った子どもたちである。特に1990年代の平面作品では、子どもたちが持つまなざしは過剰なまでに鋭い。にらみつけているようだと形容されることもしばしばだ。また子どもたちの中には、≪Dead Flower≫(1994)や≪Nothing Gets Me Down≫(1994)など、ナイフやギターを持つものも数多くいる。ナイフの場合は暴力衝動が、そしてギターの場合は、カウンターカルチャーを担ったロックミュージシャンを想起させる反抗的な姿勢が表現される。また、≪Dead Flower≫にも見られる「Fuck You」という語は作品内にしばしば出現する。これらから明確なように、奈良の子どもとはまずもって、大人によって押し付けられそうになっている社会規範を拒否し、それに対して外側から異議申し立てを行うようなものとしてあった(註3)し、男女を二分する枠組みにおいては捉えきれないものでもある(註4)。

こうした脱規範的な子どもたちに対して、作者としての奈良自身はいかなる態度をとっていたのか。ここで奈良自身の発言をいくつか引用しよう。

 

 

「もちろん子どもは嫌いじゃないけど、いわゆる弱いものとしての象徴として描いている部分があって(中略)僕自身が子どもの頃、弱い存在であったということに気がついたんです。」(奈良, 1995, p.34, p.38)

「僕は、作品を空想のものじゃなくてかなり現実的なものとして、実際、心の中にいるようなものとしてつくってるから。(中略)分身、かなあ。分身なのかなあ。」(奈良, 1998, p.131, p.45)

「僕はいつも、記憶にある小さい頃の世界と現在の自分とのあいだを自由に行ったり来たりして、そのなかからインスピレーションを受けてきたのね。」(奈良, 2000, p. 41, p.115)

 

 

自分の内側にある未成熟な部分を描き出しているにせよ、幼年期への遡行の産物であるにせよ、子どもたちには奈良自身が一定の仕方で投影されている、とひとまずは考えてよいだろう。他方で、規範の外側にある子どもをたんに描くだけでは、子どもと奈良との間の(引用した言葉が示唆するような)同一性は不十分に留まる。奈良自身はすでに大人になってしまっているという否定しがたい事実が存在しているからだ。この事実を乗り越えるための戦略こそが、表現の只中に見出されるべきだろう。

松井みどりが執筆した奈良についての一連の批評は、この点に強く注目するものであった。2001年の奈良の個展に際して発表された「外側からのまなざし」に即して松井の議論を要約すれば以下のようになる。奈良は、美術史において「主流」とされている「キュビズムを祖とするモダニズム的抽象」をそれとして受け入れず、その外側にある周縁的な表現に注目している。具体的には、「境界のないイメージや線の戯れ」を引き起こすことで、絵画のような「自律した「創造物」であることから距離をとるドローイングや、絵本のなかで物語とともに眺められる「「挿絵」芸術」などである。そして奈良はそれらを(絵画を制作するにしても、絵本を思わせるような物語性やドローイングの要素を導入したりして)表現の中に採用することで、「西欧近代の世界観や技術」の「エリート的な体系」をそのまま受容して大人になることから距離をとり、子どもに特有の、「文化活動を支える論理的な言語では把握しきれない身体的な世界把握」を保持している(松井, 2001, pp.138-148)。

奈良のこうした戦略は、規範におさまらない可能性を改めて獲得するべく技術的な成熟を拒否する、いわば退行的なものである。しかし、これがつねに有効なわけではもちろんない。第一に、当の人物が置かれた社会的状況を無視するわけにはいかない。奈良はたしかに、周縁にあったものを前景化させることによって、美術においていかなる絵画が正当なものとしてあるかを定める秩序を撹乱することに成功したかもしれない。しかし、この撹乱を通して一定の地位と人気を得たこともまた事実であり(註5)、そののちに同様の表現をたんに継続することは、再編された秩序とそこにおけるステータスへの安住を意味する。またそのことに重なる指摘ではあるが、仮にあるタイミングにおいて特定の表現(物語性やドローイングなど)が美術史において正当とされる規範から逸脱していたとしても、それがひとつの様式として浸透するやいなや、新たなる規範となって、従来あった撹乱性は失われることとなる。その表現の選択は、絵画的な規範への適合を拒むことによって成熟拒否を表現するという積極的な可能性を伴うものではもはやないのだ(註6)。

ここまでの記述は、似た特徴を持つ(多くの場合は一人の)子どもを簡潔な背景とともに描く作風が確立していった1990年代の諸実践に顕著に当てはまるものである。そして2000年代以降の奈良の歩みを、上記の隘路から抜け出しうるものと見なすことは可能であろう。grafとの複数回の共同作業が目立つ2000年代や東日本大震災から始まる2010年代を経て、奈良の作風は明らかに変化しているからだ(1990年代の姿勢を完全に棄却した、とまではいえないが(註7))。以下にこの変遷の簡潔な見通しを提示しよう。

≪No Means No≫(2006)や≪春少女≫(2012)などに典型的なように、2000年代半ばごろから奈良は、あまり鋭くはない大きな眼を持つ子どもの上半身を、画面を埋め尽くすように正面から描く大型の絵画作品を数多く制作しており、この時期にあって奈良を代表する作例はそちらに移行している(註8)。その眼はもはや以前ほど鋭くはなく、大人に対して反抗するような脱規範性をある意味で理想化するような傾向は鳴りを潜めている。また、大きな眼で眼前にあるものをまっすぐにまなざすそのありようは、鑑賞者の存在を痛烈に意識しているという印象を強く喚起するものである。こうした作品にあっては子ども以外のものが描かれることはないということも、別の世界に属することなくわれわれ鑑賞者に注目している、という感覚の高まりに寄与している。また技法面で言えば、それらにおいてドローイング性は鳴りを潜め、ただいるだけの子どもをより複雑な色彩を用いて現出させるものとなっている。そしてそれに伴い、子どもの顔、髪、服、背景の間にある境界は、依然としてある程度は明確でありつつ、曖昧に混ざり合う箇所も目立つようになっている。この傾向がきわめて顕著な作品として、≪Light Haze Days/Study≫(2020)を挙げられるだろう(註9)。松井の議論に即していえば、ここで明らかに重視されているのは、「自律した「創造物」」としての絵画の完成に向かうことである。また、線によって背景から明確に区別された(デフォルメされてはいるものの具象的な)人物を描くことではなく、背景と人物をともに多様な色彩を通して描き出すような画面を構成することに向かっている意味では、「モダニズム的抽象」に近づいてさえいる。

かくして近年にあって奈良が表現における規範ととりむすぶ関係は、松井の記述が対象とした1990年代のそれとは大きく異なっている。より積極的に規範を取り入れる方向へと向かっているのだ。そして先に確認したように、規範からの逸脱は成熟の拒否と密接に関係するものとして理解できた。松井の論に従うかぎり、反抗的な子どもたちとの同一化の実現は、表現上での脱規範的な戦略と不可分であった一方で、その戦略にさほど拘泥しなくなっているように思われるのだ。では、そのとき奈良は作品中の子どもといかなる関係を結ぶのか。

この点については、以下のような仮説を立てることができる。奈良は子どもたちを、自分自身の幼年期の投影としてよりはむしろ、他者に近い存在として、あるいは、実際にこの世界に存在している子どもたちと重なる存在として描く傾向を強めている。2000年代以降の奈良の実践において目立つようになっていたのは、実在する子どもとの関係であった。例えば、個展「Moonlight Serenade -月夜曲」(金沢21世紀美術館、2006-2007年)では犬の着ぐるみを来た子どもが美術館を歩くイベント「Pup Patrol」が行われている。またこの時期以降の奈良はしばしば写真作品を発表しているが、その中には旅先などで奈良が知り合った子どもを写したものも数多く見られる。子どもへの同一化という傾向が薄れるという先に述べたような表現上の変化と、こうした子どもとの関わりの増加の間にある連関を、ここでわたしは最大限に強調したい(註10)。そしてそうした変遷の只中にあって、奈良はもはや成熟の拒否、子どもの側に居直りつつ社会規範に対して抵抗しようとする姿勢を示すのみではない。ここに認められるのはむしろ、立場を得て技術を身に着けた大人の側に立ちつつ、かといって社会規範を所与として受け入れるわけでもなく、(脱規範的なものとして理想化されることがない)子どもたちへと自らを開いていこうとする姿勢ではないだろうか。

 

 

註1

芸術作品における子どもへのこうしたまなざしについてより具体的に知るうえで有用な本を、ここではさしあたり二冊紹介しよう。四方田犬彦の『子供は悪いのが好き』は、映画に登場する子どもについてのエッセイを集めた本である。そのタイトルが示唆しているように、四方田がとりわけ注目するのは、映画が描き出す子どもの脱規範性である。たとえば、『エクソシスト』(1973)における、「家父長主義的な社会秩序」における規範を身につける以前にあるために、その秩序においては理解されない超常現象を引き起こす撹乱的な(「父親原理によって運行管理されている社会を拒否し続ける力」を持つ)少女(四方田, p.42)や、『転校生』(1982)における、「正気の社会」に参入する前の幼年期にのみ許された「性の越境」「混乱」を生きる少年と少女(四方田, p.139)などが紹介されるのだ。また阿部公彦の『幼さという戦略』は、本文中で説明したような成熟のありようでは十全に説明することができない、「未だ完璧でない状態であることを終始意識し、「まだまだ勉強が足りない」「わかっていない」とおのれの未熟さを突きつけられる個人」(阿部, p.191)として生きるよう要請されているという状況(サブカルチャーなどの日本文化を幼さと結びつける言説や、カウンセリングの勃興など)に目を向けつつ、「未経験で力のない人」「幼く弱い人」(阿部, p.5)として語ることの積極的な可能性を引き出してきた作家たちを検討する本である。そこで俎上に載せられるのは、「糞便趣味や、日常の些末なことへの視線だけではなく、そう簡単に言葉にならない世界の面倒くさい現状を、その面倒くささやぎこちなさ、不可解さ、奇妙さそのままに、綺麗な文章の型からどんどん逸脱させることで書いてしまう」(阿部, pp.115-116)武田百合子の日記などである。

註2

問題点のいくつかを指摘しよう。そもそもこれは、規範に対する動的な行為として思考されるべき撹乱を、特定の属性=幼さを持つ主体の本質的な撹乱性というかたちで実体化することに接近する発想である。またこれは、規範と大人/成熟との間に強力な同一性を打ち立て、同時に規範の外側と子ども/未成熟を重ね合わせるものである。そうである以上、規範に対する撹乱という複数ありうるはずのものを、未成熟という単一の観点との関係でのみ捉える発想でもあるといえる。大人の領域の只中で生じる脱規範性を捉えそこね、単純に幼さへと結びつける危険と隣り合わせなのだ。

註3

この点について松井は、奈良の子どもは「社会通念や行動規範を代表する「大人」に対して、そうした効率のよい体系から逸脱し、それをつき破る感覚の力を体現する存在」(松井, 2001, p.140)としてあると述べている。

註4

スカートや髪形といったよそおいゆえに、奈良の描く子どもはしばしば少女として説明される。しかし少なくとも1998年の段階では、奈良はインタビューの中で、「僕はこれ[子ども]を女の子だと思って描いているわけではない。中性だと思って描いている」(奈良, 1998, p.131, p.45)と述べている。身体が性的に「未熟」であるという意味でも、性別にふさわしいとされるふるまいを十全に身につけていないという意味でも、社会において規範としてある男女という二分法では捉えきれない存在として描かれているといえるのだ。

註5

反抗的な子どもを描く画家としてのイメージが、90年代に美術の愛好家を超えた幅広い人々に広まっていったことの証言としては、本江邦夫「崇高な絵画」を参照。2000年に発表された同論考において本江は、「目を釣り上げた、三白眼の、どこか暴力的な衝動を秘めた少女の絵」が「奈良美智の商標ともいうべき」ものとなっていたことを指摘している(本江, 2000, pp,62-63, p.136-137)。

註6

奈良らに見られるドローイングの可能性に注目しはじめてから10年近く後になって、「マイクロポップ」のアーティストたちのドローイングを同様の視座から称揚したとき(松井, 2007, p.28)、松井はこの点を見落としていたのではないか。

註7

奈良は90年代以降にあってもドローイングを積極的に制作し続けているし、鋭い目を持った反抗的な子どもはそこにしばしば登場する。本稿は奈良の(作風や子どもに対するまなざしの)変化に明確な見通しを立てるべく、奈良を代表する作風に論を限定するという方針をとった。しかしそこに粗さがあることは否みがたく、傾向におけるこうした大きな変化への見通しを、扱うことができなかった点(ドローイングという表現形式への拘泥や、また別の特徴を持った絵画作品、あるいは立体作品など)を視野に入れつつ、より精緻なものとすることを今後の研究の方針としたい。

註8

2010年代以降に日本で開始された大規模な個展(『君や僕にちょっと似ている』、『for better or worse』、『The Beginning Place ここから』)の宣伝用ポスターのほとんどに、こうした作品が用いられている点を鑑みれば、奈良を象徴する作風が反抗する子どもからこちらへと変化したともいえる。本江の論考は、≪春少女≫などに通じる正面性と柔和な眼を持つ≪Daisy≫(2000)に、「いまや大量に消費されつつある、苛ついた現代社会を見据えた反抗的な少女像の作者として類型化された奈良美智像に対する、画家自身の反駁」(本江, 2000, p.63, p.137)を見出しており、2000年代以降における奈良の展開を先取りしているといえるだろう。

イェワン・クーンも、「自身のアイコニックなイメージ——1991年に生み出したあの反抗的な少女——から脱却する試み」(クーン, 2023, p.127)が2000年代に行われていたという見方を本稿と共有しており、「特徴的なくっきりとした輪郭線」(クーン, 2023, p.279)が徐々に薄まっていったことについても別の箇所で言及している。とはいえクーンは、この変遷と奈良が子どもに対してとる態度の変化の相関を明示的に問題にはしていない。

註9

ここまでで記してきたような近作の性格は、もちろん90年代の作品群と比較した時に明確になるものである。奈良の90年代の絵画の多くは、斜めの角度から子どもの全身像を描くものであり、ゆえに鑑賞者がいる場から若干ずれた方を向いているように見える。また、子ども以外の事物が伴うこともあり、それら子どもが置かれた状況を画面の背景にある物語として喚起する。それらによって、われわれ鑑賞者が属している世界とは別の世界や物語のなかで行動しているかのような印象が生じるのだ。さらに、広い余白と子どもとのあいだの境界は明確で、輪郭線がはっきりと描かれていることもしばしばあり、塗りも単純だ。

註10

実在する子どもとの関係を絵画の形式で表現しているのが、2017年に発表された「トビウ・キッズ」シリーズである。同シリーズは、北海道の集落・飛生で交流した子どもたちをモデルとした絵画からなる。奈良特有のデフォルメが子どもたちへと施されることはなく、ほとんど写実的なデッサンのような仕上がりとなっている。90年代にあって奈良は、公園にいるような実際の子どもを観察して作品に活かすことはないとはっきりと述べていた(奈良, 1995, p.34, p.38)ということを鑑みても、本シリーズは奈良が子どもにとる姿勢の変化を検討するうえできわめて重要な作品であるといえるだろう。

 

参考文献

阿部公彦『幼さという戦略 「かわいい」と成熟の物語作法』、朝日新聞出版、2015年。

イェワン・クーン『奈良美智 終わらないものがたり』河野晴子訳、青幻舎、2023年。

奈良美智「奈良美智 普通の人が淡々と生きるように」、『美術手帖』1995年7月号、美術出版社、34頁。

——「Artist Interview 奈良美智 以心伝心のアート」、『美術手帖』1998年4月号、美術出版社、129-142頁。

——「ロングインタビュー 奈良美智」、『美術手帖』2000年7月号、美術出版社、32-46頁。

松井みどり「外側からのまなざし:奈良美智の絵画における「周縁」」、奈良美智『I DON’T MIND,IF YOU FORGET ME』、淡文社、2001年、138-149頁。

——『マイクロポップの時代:夏への扉』、PARCO出版、2007年。

本江邦夫「崇高な絵画」、『美術手帖』2000年7月号、美術出版社、62-64頁。

四方田犬彦『子供は悪いのが好き スクリーンのなかの幼年時代』、光村図書、2009年。

 

美術手帖に掲載された文献はすべて、『奈良美智完全読本 美術手帖全記事1991-2013』(美術出版社、2013年)に発表当時のレイアウトのまま再録されたバージョンを参照した。引用にあたっては、(『奈良美智完全独法』に明記されている)当時の雑誌のページと『奈良美智完全読本』におけるページ数をこの順で併記した。また作品分析にあたっては、『奈良美智 全作品集 1984-2010 Yoshitomo Nara: The Complete Works』(美術出版社、2011年) を参照した。

石田裕己/Yuuki ISHIDA
2001年生まれ。神奈川県出身。
ソロコレクティブ「ペンギンプラネット」を標榜し、展覧会やパフォーマンスを企画するほか、執筆も行う。過去に企画した展覧会に「手なずけるとか手を噛まれるとか」(JUNGLE GYM, 2023年, 兼キュレーション)、パフォーマンスに「てなかま THE LIVE」(アートサロン えん川, 2023年, 兼制作・出演)、執筆テクストに「鑑賞者と芸術がともに思考する作品を求めて。石田裕己評「惑星ザムザ」展」(ウェブ版美術手帖, 2022年)がある。東京大学文学部美学芸術学専修在学中。

BUGでは、活動方針の一つであるアートワーカー向け支援として、批評家のネットワーク構築、発表の場の提供を行っています。

支援の形としてどのようなことがあると良いのか、まずは知ることを目的に、トークイベントの開催や、批評執筆の依頼などに取り組んでいます。

取り組みの一つとして、第1回BUG Art Award ファイナリスト展の展評と、自身の好きなテーマでの批評、2本の批評執筆を石田裕己さんと水野幸司さん、2名の方にご依頼しました。