吉田志穂による「印刷と幽霊」と題された個展では、印刷機やカメラ、そしてインターネット上の予期せぬエラーによって生じたイメージに着目した新作が公開された。今回はあえて写真印画を使わず、オフセット印刷による大量の印刷物とその版で写真を見せることが試みられた。オフセット印刷とは、新聞や雑誌、チラシなどの印刷に利用される商業印刷のなかで最も一般的な手法である。展示の告知を目にした際から、デジタルネイティヴ世代でもある吉田が、今も常に流通してはいるが、アナログ的ともいえる印刷物での発表を選択したことに興味を惹かれていた。印刷物という観点から現代美術の領域を振り返ると、特に1970年代前後には、新聞や広告を含む印刷物を社会批評的な目的で作品化するアーティストが一定数いたことが思い返されたこともある。今回の新作も同様に、現在のメディア環境に対する何らかの批評的視点を読み取ることが可能なのだろうか。この点については文末で考察することとし、まずは展示の内容について述べていきたい。
「印刷」と「幽霊」というふたつのテーマは、もともと別々の関心に由来している。吉田が印刷技術に興味を持ったのは、写真集『測量|山』(2021年、T&M Projects)の制作がきっかけであったという。オフセット印刷のスミの締まりや、印刷の入稿解像度が一般的な写真のプリントの設定よりも高いことに衝撃を受け、これ以降印刷物を扱った展示を考えるようになった。幽霊(ゴースト)については、現代の社会を見渡したとき、たとえばドキュメンタリーの手法で事実であるかのように制作されたフィクションジャンルである「モキュメンタリ―」や、現実とかけ離れた空間を指す「リミナルスペース」という用語がインターネット上で流行するなど、不確かなものへの関心が盛り上がる時代であることを感じていたという。また、写真業界でフレア(太陽などの強い光がレンズに入ることで生じる、光の形や点)のことをゴースト現象と呼ぶことや、印刷業界にもデータには存在しないインクの濃淡が現れる現象があることを知り、機械の側で生じる予期せぬイメージの現れも、ゴースト的なものとしてとらえるようになった。このような関心事項から、実在の極みであるような印刷物と、不確かで曖昧な現象を組み合わせることを念頭に構想が練られていった。
幽霊(ゴースト)にまつわるイメージとして、吉田が被写体に選んだものは主に3点である。まずは上記でも述べた写真のゴースト、すなわちフレア現象を撮るために、吉田は複数のレンズを使いつつ、山の風景を撮影した。線状や点状の光の痕跡がこれらの風景写真からは確認できる。2点目は、google map上に現れるゴースト現象である。これは、google mapで使われる衛星写真が複数組み合わさるときにしばしば生じるエラーを指す。吉田は数年前にネット上で話題になった、伊豆大島の港に出現した巨大な沈没船にも見える影を、パソコンの画面越しに撮影した。また、この写真をプロジェクターで植物に投影し、それを撮影した画像も加えられている。3点目は、こちらも冒頭で取り上げたリミナルスペースのイメージである。“Liminal”(リミナル)は「限界」や「境界」を指し、感知できるかどうかの境目という意味でも使われる。そこに「空間・場所」が付加されたリミナルスペースは、現実と非現実の間に位置する曖昧な空間という意味合いになる。このイメージを得るにあたり、吉田は以前に撮影した、今は取り壊されすでに存在しない建物の通路や室内写真を使い、吉田なりのリミナルスペースの表象として展示に取り入れた。これらの写真についても、プロジェクターで水面に投影し、それを撮影したものが加わっている。これらのゴーストイメージで特徴的なことは、すべて機械やインターネットを介して現れる現象であり、人間的な幽霊像はひとつもない点である。人間の側ではなくテクノロジーの側が発する不確かさとどう折り合いをつけていくかという点に、吉田の関心の比重が置かれているように思われる。
撮影やイメージの取捨選択については吉田独自で行った一方、印刷作業については、アートディレクターとして今回の展示に参加した小池俊起、そして印刷会社LIVE ART BOOKSとの協働体制で行われた。本展の出品作品は、大判で刷られた印刷物約1万枚と、オフセット印刷に使用したアルミニウム印版数点で構成されている。それぞれの印版には額装が施され、印刷物と等価に並置されているのも特徴的である。まず、40点ほどの印刷用紙は、レール上に紙の端をマグネットで留めるかたちで壁面に展示されている。一枚の画面を見ると、トンボやカラーチェックの表示も印刷されている。聞いたところによると、この用紙を使って写真集をつくることが予定されているそうだ。また、本展のフライヤーには展示品と全く同じ印刷物が使われている(文字情報のみが追加で転写されている)。このように、同じ複製物が用途によって、展示作品、写真集、フライヤーとかたちを変えていく状況も見どころの一つだろう。
そのほかの用紙は、印刷所の機械から出力された状態のまま積み重ねられ、パレット上に3500枚ほどの束となって空間のあちこちに点在している。これらの束において目を引くのは、印刷機にエラーを起こすことによって出現した、インクの染みが見渡せる側面の部分である。このランダムな汚れは、一度に同じ複製を大量につくれることが特徴の印刷機械に調整を加えることで、1枚1枚が異なるイメージとなっていることを示している。つまり、これらの印刷用紙すべてには、インクのスミが作家のコントロールを超えて各写真に介入している。しかし、展示会場で印刷用紙を眺めても、これらのインクが撮影イメージを破壊しているという暴力的な様相はあまり感じさせない。むしろこのインク自体もひとつの「ゴースト」として、ほかのゴーストイメージと重なりあい、作品にさらなる階層を与えているのだ。
冒頭の印刷物と美術の話題に立ち戻ると、印刷物のエラーに注目した事例として想起されたのは、韓国における前衛美術の先駆者であるソン・ヌンギョンの写真作品である。たとえばVenue 5(1981年)という作品において、彼は新聞記事から完全に転写されなかった報道写真を集めて複写し、刷り残し部分である白線を繋ぎ合わせて作品化した。これは、当時のマスメディアにも深く浸透していた国家の民衆統制に一石を投じる行為でもあった。
一方、吉田の本作における批評的な側面を考えるならば、それは、テクノロジー側のエラーや齟齬を作品化することによって、これらの不可解さと共存している状況を新たな見方で提示している点にあるだろう。また、こうした認知を超えた現象は、作品内における様々なゴーストの事例が示すように、現代の人々を魅了する要素ともなっている。このような社会状況について洞察を促すことが、本作の批評的意義のひとつといえる。山本浩貴は写真集『測量|山』に収録された批評文のなかで、「写真を撮影し、それらをインスタレーションとして配置することは、吉田にとって曖昧な世界と関係を切り結ぶためのメソッドである 」と述べている。今回はその世界に形を与える行為が、印刷物という手段によって更新される機会となった。今後も、吉田が探求していく媒体の展開に期待したい。
1993年、東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。東京大学大学院総合文化研究科博士後期課程在籍。論文に「女性写真家の不在をめぐって─『New Japanese Photography』展における議論の再考」(『東京国立近代美術館研究紀要』第27号、東京国立近代美術館、2023年)など。担当展覧会に「中平卓馬 火―氾濫」(副担当、東京国立近代美術館、2024年)、「コレクション展小企画 フェミニズムと映像表現」(共同キュレーション、東京国立近代美術館、2024年)などがある。