インディペンデントキュレーターとして活躍する池田佳穂さん。

BUGでの「バグスクール:うごかしてみる!」のキュレーションも記憶に新しいですが、展覧会のキュレーションにとどまらない幅広い活動をされています。

アートワーカー(企画者向け)オンラインプログラム「CRAWL」のメンターはどのような遍歴でさまざまな企画を立ち上げてきたのでしょうか。

BUG(以下、B)

現在のインディペンデントキュレーターの仕事について、お聞かせください。

池田佳穂さん(以下、池田)

インディペンデントキュレーターとして、主に展覧会やアートプロジェクトの企画運営をしています。キュレーターと一言でいっても、さまざまなタイプがあると私は実感しています。

私のキュレーターのスタンスとしては、できる限りリサーチ段階から、アーティストと一緒に時間を過ごして、そこで見つけたアーティストの視点や興味・関心を膨らましたり、それをプロジェクトや作品として育てたり、できる限り併走しながらサポートしていくことが、自分の中でイメージしているキュレーターの動き方で、それを意識しながら仕事しています。

B

そもそもアートへの関心はいつ頃芽生えましたか?

池田

昔からアートに興味はあって、小学生の時から美術館に行くのがすごく好きでした。

B

記憶に残っていたり、いいなと思った展覧会を覚えていたりしますか。

池田

静岡県立美術館のロダン館がとても好きで。静岡に住んでいた小学生の頃、ロダンの《地獄の門》を見て、かっこいいって思った。それが最初ですね。自分のペースで鑑賞できることや、答えがない感じに惹かれて、アートとか美術が好きだなって、小さい頃から思っていました。

B

小学生であれば親御さんやご親族の方に連れて行かれてたのでしょうか?

池田

美術館が山の上にあるのですが、夏休みなどに一人で家から数時間かけて歩いて行っていました。アートファンってより、時々行く程度でしたけれど。

 

大学生の時は六本木アートナイトを観に行くほか、当時大学で授業していたアーティストの靴郎堂本店・佐藤いちろうさんに声かけてもらい、瀬戸内芸術祭のお手伝いに行っていました。
その時は純粋に楽しそう、もしくは楽に単位が取れそうという動機で参加しましたが、現代アートが私的な感覚をたよりに社会や環境に対して応答していることに、とても救われた気がして。やっぱり国際関係学や政治学って、国家や自治体とかを背負って何か発言したり、主張したりすることが多いので、個人の感覚で主張や表現できることに感動しましたね。

B

大学では国際関係学を学ばれていたんですね。

池田

そうです。世の中の仕組みを知りたいなと思って、国際関係学を勉強していました。で、国際政治を学ぶサークルに入ったり、NGOでインターンしたり。アートとは程遠いところで活動していました。そこで国際組織、政府、NGO、 現地住民やコミュニティの間で、同じ問題のはずなのに、主張していることが少しずつ違うことや、何が真実かわからないことに興味を持って、大学3年生の頃に、初めて自分で企画したんです。

殺人事件で尋問を受けた7人の証言が微妙に食い違っているという、芥川龍之介の短編小説『薮の中』に倣って、私がとある開発問題について書いたテキストを、JICA、NGO、学生団体などを招いて、その続きをみんなで考えてもらうというワークショップをやりました。自分の中では、すごくしっくりきて。答えのない問題や 不明瞭なことに対して、こういうレスポンスの仕方もあるのかみたいなのかという驚きがあって。

 

そこから、主語の大きな国際関係学より、その土地にある文化、個人のナラティブなどを拾い上げられる表現領域に興味を持ち始めて。広告会社もクリエイティブな仕事だと思い、卒業して広告会社に入ったのですが、どうしても資本主義や合理主義を意識したクリエーションだったので、少し窮屈さを感じて、大学4年生の頃からいいなと思い始めていたアートの道へ一念発起して入っていきました。

B

ありがとうございます。
代理店を1年で退職して、そこからはどのような歩みでしょうか。

池田

吉祥寺にあるArt Center Ongoingで2016年から2018年の間、アートプロジェクトの事務局スタッフや外部受託案件のアシスタントなどしていました。

そこで働くまで暗黒時代が2ヶ月間あって、どのギャラリーにも、アートプロジェクトにも、何もかも落ちるという暗黒時代がありました。

 

B

転職活動がうまくいかなかったんですね。新卒で広告会社は通るのにアート系の仕事が全然通らないっていうのはどういうことでしょうか。

池田

やっぱり美術大学卒業でないこと、まだ 社会人2年目だったことが結構大きかったと思います。書類で落ちてしまうんです。その時に美大のコミュニティとか、信用価値みたいなものを知って、悔しさを感じました。

その悔しさバネに、暗黒時代の2か月間で、必死に英語を勉強しましたね。Art Center Ongoingにはその2か月間で受けたTOEICの点数を持って応募しました。ちょうど英語を喋れる人を探していたこともあり、採用いただいたって感じです。

B

Art Center Ongoingの中で記憶に残っている仕事があれば教えてください。

池田

事務局をしていたアートプロジェクトTERATOTERAでは、映像祭から野外インスタレーションまで実施して、ギャラリーではなくて、野外を使ったり、外部施設を使ったりする企画が多かったので、イレギュラーな現場はとても勉強になりました。 印象に残っているのは、TERATOTERAの関連企画でTERATOSEAという東南アジアのアーティストを招聘する企画を任せていただいて。シンガポールのアクティビストや、タイのアーティストのレジデンスやリサーチ対応できたのは、特に覚えています。

「TERATOTERA祭り2016」開催風景(Photo: Hako Hosokawa)

B

では、今、仕事で関わっている東南アジアのアーティストともここで知り合ったっていうか、東南アジアに対する関心もここで生まれたんですか。

池田

いえ、もう少し早くて。Ongoingで働き始めた時に、代表の小川希さんが、3か月間の東南アジアのリサーチから戻ってきたばかりで、現地の話を聞いたときに私も行ってみたいなと思って。1ヶ月間のお休みいただいて、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシアやシンガポールを巡り、社会情勢や都市に応答しながら発展した東南アジアのアートシーンに関心を持ちはじめました。特にインドネシアにハマりました。

B

Ongoing以外で仕事や活動はされていたんですか。

池田

そうですね。

スタッフしながら「アートプロジェクトの0123」というOngoing主催の連続ゼミ受講したときに、ゲストに素人の乱の松本哉さんがいらっしゃって。

そのあとの飲み会で意気投合して、素人の乱界隈で共同運営している「なんとかBAR」の店長をやることが、その場のノリで決まりました。

本当は1回きりの予定だったので、名前を決めるのがとにかく面倒で、池田BARと名付けました。その後、演出家・民族芸能アーカイバーの武田力さんと盛り上がり、第二回目を武田さんと共同開催しました。展覧会などの予算確保や準備期間を要する大きなスケール感のコラボレーションと比べて、「一緒にBARをやる」というミニマムなコラボレーションは、予算確保も必要ないし、興味のあるアーティストに声もかけやすかったので、それから池田BARは共同店長と開くことが多くなりましたね。

2018年Ongoingを退職して、オルタナティブシーンで暫く活動しました。
素人の乱界隈で働くほか、池田BARは頻繁に続けて、多種多様なジャンルの共同店長たちとライブ、展示、トーク、パフォーマンスをBARで開催しました。さらに自己資金でインドネシアを中心に東南・東アジアに滞在していた時期で、現地のプログラムやワークショップを受講したり、インドネシアでは企画をやらせてもらったり。

B

現在も池田BARを続けているんですよね。

池田

はい、高円寺以外にも国内外各地で開催しています。国外ではインドネシアで調査がてら池田BARをやって。 短時間のインタビューだけより、一定期間滞在してBARを開催した方が、現地のアーティストや住民とも仲良くなれるし、お金も稼げるし、みたいな感じで。

で、2018年以降は、アートトの小澤慶介さんというインディペンデント・キュレーターのアシスタントをしていました。それが2019年ぐらいですね。アウトサイダーアートの展覧会を担当したり、 アートトのウェブサイトを作ったりしていました。その後に森美術館にアシスタントとして入社し、2023年4月終わりまで勤めました。

B

森美術館で主に関わっていたのが、『六本木クロッシング2022展:往来オーライ!』と『Chim↑Pom展:ハッピースプリング』でしたね。

池田

はい。ラーニングにも関わってました。

B

森美術館の時の仕事で記憶に残っている仕事ってあったりしますか。

池田

1番頑張ったのは、『Chim↑Pom展:ハッピースプリング』の《道》の運営ですかね。会期中のイベントやハプニングを通して、鑑賞者と一緒に自由で開かれたスペースに育てていくことが意図された《道》で、開催イベントが決まらないまま展覧会が始まって。そこでChim↑Pom from Smappa!Groupと何ができるのかって段階から話し合い、少しずつ小さなアクションから始めたり、こういう方法だったらできるんじゃないかって、私の方から提案したりとか。

 

例えば、最初《道》では、美術館が定めた揺れや音などのレギュレーションが厳しくて、アーティストが提案してもなかなか実現しづらい状況でした。そのときダンサーのAokidさんに来てもらい、下見という形をとりながらクリエーションをしてもらったり、どの程度の音出しが怒られるのかを試したり、小さなイベントを重ねながら、アーティストと次は何ができるのか作戦を練っていました。

 

(後編へ続く)

池田佳穂/Kaho IKEDA
インディペンデントキュレーター

2016年より東・東南アジア中心に、土着文化や社会情勢から発展したコレクティブとDIYカルチャーを調査。主にインドネシア各地で展覧会やワークショップなどを現地アーティストと共同開催した。展覧会・パフォーミングアーツ・教育プログラムなどを複合した横断的なキュレーションに関心をもつ。森美術館でアシスタントとして経験を積み、2023年春に独立。
近年の実績は「オープンパークMINE:ストリート/どう遊ぶ?」(山中suplex別棟MINE、2023)、「Radical Guidebooks to Our Futures」(Leggy_/Dig A Hole Zines同時開催、2023、Jason Waiteと共同企画)、「バグスクール:うごかしてみる!」(BUG、2023)、「一人で行くか早く辿り着くか遠くを目指すかみんな全滅するか」(山中suplex、2024)、神戸六甲ミーツ・アート2024 beyondのキュレーター就任。