2026年初夏、筆者のインスタグラムには、ヴェネツィア・ビエンナーレのケニア館の展示、パリを拠点にするナイロビ出身の友人アーティストや、ナイロビを拠点にアフリカの諸都市を往来するコレクティブの、華やかな活動の様子が流れてくる。一方、それらの人々の拠点のすぐそばに、隔絶された状況を生きる人々がいる。

導入映像には、ナイロビの高層ビル群を背景に広がるキベラ「スラム」の風景が映し出される。植民者が植民者のために建設した都市ナイロビでは、植民地時代を通じてアフリカ人の居住制限や排除が実施されてきたが、出稼ぎ民らは、その規制に抗い、あるいは服従しながら、生活空間を拡大してきた。彼らによる「都市を飼い慣らす」実践こそが都市を作っていると、都市人類学者の松田素二は述べる[1]

本展のテーマである「客体から主体へ」は、植民地支配下にあった120年前から、アフリカと美術の関係において掲げられてきたもので[2]、言ってしまえば「よくある」響きもする。しかし、20世紀半ば以降の「グローバル化」を経て、さまざまな包摂を語ってきたアートは、そうした都市の作り手たちを、客体としては散々利用しながら、主体としては疎外してきた。

本展は、BUGのアートワーカー(企画者)向けプログラム「CRAWL」で選出された坂田ミギー氏の企画である。坂田氏は、2013年以来、ナイロビのキベラで教育や起業の支援を続けてきた。ご自身も認識する通り、狭義の「アートワーカー」ではない。その代わり、日本人駐在員が暮らす白人邸宅街や観光名所のサファリといった、植民地権力が生み出す「安全」から踏み出して、アートが置き去りにしてきた人々に伴走してきた。 支援活動から派生したプロジェクト「KIBERACTION」——日本で使われなくなったカメラを寄付し、現地の若者に写真・映像の技術を指導する——を経て、本展は実現した。応募32名から選考を経て12名が参加し、参加作家の一部は来日し、滞在制作も行った。展示副題の“スラム”には引用符が付く。「スラム」の被援助者ではなく、「キベラ」の表現者として踏み出した人々による写真・映像が並んだ。


1.
最も忘れがたい一作は、ヴィン・セカニの《Objects on the Mirror May Look Closer Than They Are》。神を信じ真面目に努力する青年ジェモと、彼を取り巻く就職難を描く13分の映像作品だ。学校で成績のよかった同級生にもバスのもぎりしかなく、仲間で助け合ってやりくりするが、つかみかけたチャンスは手をすり抜けていく。成功者に相談しても「神を信じろ」と諭され、「扉は開くはず」と前を向くが、どうしようもない経済的状況が立ちはだかる。その繰り返しが、あくまで日常のトーンで映し出されていく。思い切ってデモに参加した彼は、政府による制圧のなかで命を落とす。会場で本作はループ再生されており、冒頭、アイロンの当たったシャツで天を指差し、希望に満ちた顔で家を出る主人公が映るたび、胸が詰まる[3]

▲ 仕事を斡旋してくれる議員の元を訪ねるが、応募者が殺到。公正な選抜もなく対象外にされてしまう。

聞けば作者の友人の実体験が元だという。個人の具体的な経験をそのまま撮影したのかもしれないが、植民地支配の残存と国家建設のつまずきが、一人の人生においてどう体験されるかを描き出す、広がりを持っていた。筆者がベナンで覚える名状しがたい感覚―外からみると歯がゆささえ感じてしまう、何かと「神様」に頼る姿勢、人々を絡めとる巨大な構造への無力感、それはそれとして続く日常―が、不思議と画面から立ち上がる。「デモの衝突で何人死亡」という数字ではなく、理不尽に終わった人生を友人が語り継ぐという、共同的記憶の力を見せる作品でもある。

一方、写真作品には正直、筆者の知る西アフリカの都市の写真作品と一見似て見えるものもあった。ところが、話を伺ううちに見え方が変わった。例えば、《Faces of Kibra》(ビッグ・ダビド)の、口を軽く開いたポートレートの男性は、薬物中毒者でもあるという。外部の者には撮れないだけでなく、そもそも見えない「近所の彼」としての姿が、撮影者を通じて初めて映し出される。デイケアでボランティアをするサー・ジェリーの《SASA WAKATI ULE》に写る老いや死の近くにいる人の姿も、外部者が気軽に撮れる姿ではない。坂田氏いわく、最近来たフランスのドキュメンタリーチームは石を投げられ、自身も大型機材を持ち込むワークショップではローカルセキュリティを付けたという。西アフリカの街の日常と「似て見える」ように撮れていること自体が、実は大きな達成なのだ。

あるいは街角のかご編みや、魚を焼く露店。コトヌやポルトノボでもよく見る風景だが、いわゆる「農耕する都市」では無料で手に入る原材料を、キベラでは仕入れていると聞いた。貧しい上に貨幣が要るという状況を知ると、モノと少額の貨幣が人の手を渡ってやりくりが続く日常が浮かび上がる。魚だけはヴィクトリア湖で漁を営む親戚が運んでくる人がいるとも聞いた。すると、《ANGRY HUNGER》の環境汚染への言及も、より切実に響く。

▲「このボードゲーム、キベラにもあるんですね!」ベナンでは子供たちがよく遊んでいるのを見かける。大人たちが(おそらく何かを賭けながら)やっているのはキベラ特有の風景。このように、坂田氏に解説頂き、筆者の知る西アフリカの都市との異同を見つけながら鑑賞した。

こうした事情を鑑賞中にもっと知れたらと思う一方で、それを明示することは「スラム」性を前景化するというジレンマもつきまとう。焦点を困難に当てるにせよ、その中を生きる人々の「たくましさ」に当てるにせよ。本展が選んだのは、「スラム」ではなく「キベラ」を立てることだった。通して見ると、扱う題材のわりに明るく軽やかにさえ映る展示だが、その背後には、既存の語彙でスラム性を戦略的に活用するのではなく、それぞれの視点からキベラ像をゼロから立ち上げることを模索する姿勢がある。

それを踏まえてなお、一点だけより明示的に強調してよいと思った点がある。キベラは出稼ぎ者の一時的居留地と思われがちだが、今はここで生まれ育った世代がおり、キベラを地元とするアイデンティティが芽生えつつあるという。ヌビアの祭礼を映す《Nubian Roots》や《Belonging in Kibera – Nubian Life and identity》は、題名の通りこの場所への所属とルーツへの意識を提示する。この軸で見ると、死や老いを扱う作品も違って見える。生まれ育つことの対照に、老いて死ぬことがある。場所に結びついたアイデンティティの構築や世代ごとの遷移が、作品やキュレーションによって語られていく可能性を感じた。


2.
ここで、アフリカの写真はどのように美術になってきたのかを概観しておく。マリやセネガルなど西アフリカが中心の一つである。1990年代以降の「アフリカ現代美術ブーム」のなかで、スタジオ写真家たちの仕事が欧米のキュレーター・コレクターに見出され、現代美術としての評価を得ていく。2007年にヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞(生涯功労賞)を獲得したマリク・シディベが有名だろう。西アフリカのスタジオ写真は、いまやアフリカ近代の視覚文化研究の基礎として歴史化されている[4]。西洋からの「ピックアップ」の一方で、90年代には「バマコの出会い」(マリ)のように大陸の芸術祭も生まれ、アフリカが主権を取り戻すプラットフォーム建設が始まる。

南アフリカはもう一つの中心で、アパルトヘイトを世界に知らしめた写真家から、黒人性的マイノリティのコミュニティを撮り続ける作家まで、世代を重ねた蓄積がある[5]。テート・モダンの大規模サーベイ展「A World in Common」(2023–24)には、東アフリカの作家も並んだ。

ではキベラの人々と写真の関係はどうか。外部のフォトジャーナリストのドキュメントから、JRによる「Women Are Heroes」(2007–09。住民は参加するが主導権は外部にある)まで、「客体」としての事例は山ほどある。一方、主体化を志向する系譜も無いわけではない。会場のブックコーナーにも並んだ『Shootback』(1999)は、ナイロビのマザレ・スラムの子どもたちにプラスチックカメラを渡し、その写真を展示・出版した記録だ。近年は、キベラ生まれの写真家ブライアン・オティエノが、「スラム」イメージに抗ってキベラの日常を撮り続けている[6]

こうした主体化の系譜に接続する企画が、アートワールドの外から提出され実現に至った意義は大きい。なかでも、コミュニティへの公募と選抜を経たことは重要だと感じる。セカニの作品にもある通り、選ぶ側にも手続き的な余力もなく、理不尽な選抜が常態化している。公正に人を見てくれるプロセスの存在自体が、希望になる。

▲「キベラの小屋」の外に掲示された本企画募集のバナー。当地に合わせた告知方法をとっている。

BUG側は、本展をより「アートっぽく」見せるため美的・理論的介入を行えただろう。だが既存の美術の言葉は、西洋中心性や帝国主義を批判するものでさえ、キベラにいるような人々を周縁化しながら生成されてきた[7]。地域の現実からスタートしたこの企画の、現状を誠実に提示する姿勢に敬意を表したい。


3.
本展の参加者にはすでにプロもおり、アーティストやジャーナリストとしてキャリアを築きたい人が多いと聞く。いずれの世界でも、欧米中心的な回路はいまもなお強力だ。しかし上述の通り、アートを取り巻く力学を知った先達たちが、アフリカに主権を回復すべく作ってきた場がある。自身もジャーナリズム出身であるエチオピアのアイダ・ムルネは、2010年に東アフリカ初の国際写真祭Addis Foto Festを立ち上げ、写真教育からプリント環境の整備まで手がけてきた[8]。「バマコの出会い」への参加が着想の源だといい、その営みにも世代の蓄積が見える。ナイロビでは、アーティストのカロキ・ニャマイが2023年にレジデンスKameneを開き、ケニア初のアートライブラリーを併設した。ウガンダ発のThe Uganda Press Photo Award(UPPA、2012年創設)は、それを母体とするFOTEA財団のもとでEast African Photography Award(EAPA)や、若手向けのメンターシッププログラムなどを運営している[9]

地域の現実や価値観を共有する東アフリカ・スワヒリ語圏のネットワークのなかで表現を磨く、よりヘルシーなキャリアが、現実味を帯びつつある。国家の制約から逃れるうえでも地域の繋がりは重要だ。日本語圏の我々もまた、キベラの才能を「ピックアップ」するような態度を学び捨て、そこで生まれる視覚的更新と知的蓄積から学ぶ未来に向かいたい[10]。 本展のあいさつ文は、「表現すること」の根源的な力とよろこびを問い直すと宣言する。キベラに暮らす人々の主体性を置き去りにし、倫理や包摂を語りながら自分自身を「豊か」にしてきたアートなるものに、そんな可能性はあるのだろうか。しかしここに、表現にしか開けない扉があると信じてやってきた人たちがいる。少なくとも本展は、その扉が開きうることを、確かに見せた。


[1] 松田素二『都市を飼い慣らす:アフリカの都市人類学』(河出書房新社、1996/2026)

[2] Chika Okeke-Agulu, “On Modern and Contemporary African Art and Artists,” in African Artists: From 1882 to Now (London/New York: Phaidon Press, 2021). 美術史家のオケケ=アグルは、アフリカ近代美術の起点を、西アフリカの画家アイナ・オナボル(Aina Onabolu, 1882–1963)に置く。彼が西洋のアカデミック絵画の手法でラゴスのエリートを描いた肖像画は、「アフリカ人は近代社会を理解も参加もできない」という人種主義的言説に抗い、アフリカ人自身を近代の主体として立てる試みだった(書名の「1882」は彼の生年に由来する)。

[3] 同展には「暴力と貧困を再生産するスラム」ではないキベラ像を提示するべく、《CHOREA》(ラムカリノ・ケーイー)も展示されていた。犯罪を繰り返していた青年が、教会に通うことを決め、まっすぐな道を歩き始める映像作品だが、セカニの作品はその先に待つ理不尽を描いているとも言える。

[4] Okwui Enwezor and Chika Okeke-Agulu, Contemporary African Art Since 1980 (Bologna: Damiani, 2009). 同書はセイドゥ・ケイタの再発見を、マリク・シディベやサミュエル・フォッソらの評価を可能にした基礎的契機と位置づける。

[5] アパルトヘイトを記録したアーネスト・コール、黒人性的マイノリティを撮り続けるザネレ・ムホリらが知られる。KYOTOGRAPHIE 2026の特集「South Africa In Focus」と併催のフォトブック展も記憶に新しい。フォトブック展はA4 Arts Foundationという2017年にケープタウンで創設された「アートのための実験室」との協働企画である。アーティストやアートワーカーを支援すると同時に、図書室や展示室、レジデンス他のスペースを公共に開いている。こうした多機能的なアートスペースが、アフリカ現代美術の主体的な発展に大きな役割を果たしてきた。https://www.kyotographie.jp/programs/2026/a4-arts-foundation/ 

[6] 日本からキベラに関わったアートプロジェクトの先例もある。西尾美也はキベラのアートコレクティブ、マサイ・ンビリと協働してきた。西尾咲子氏の修士論文「ケニア・ナイロビの同時代美術に関する研究―インフォーマル居住区を拠点とするアーティスト集団のスラム表象と近隣社会関係―」によれば、同コレクティブはアートワールドに対してスラム性を表象する戦略を実践しつつ、コミュニティとの活動も続けてきたという。

[7] 例えばカリブ海で育まれた特有の思想が、欧米で発展したポストコロニアリズムのレンズを通じて読み返されることで軽視され歪められてきたことについて、中村達『私が諸島である カリブ海思想入門』(書肆侃侃房、2023)に詳しい。アフリカを主題とした作品の展示や鑑賞の過程においても、地域の経験が、欧米の「ブラック」やポストコロニアル理論の枠組みに強引に回収され、周縁化ないし無視されるということは、筆者自身国際展やミュージアムを見歩き、日本の美術言論に参加するなかで痛感してきた。

[8] アイダ・ムルネは2010年、アディスアベバで国際写真祭Addis Foto Festを創設した。写真教育を担うDESTA for Africaを運営し、2022年にはコートジボワールのアビジャンにAfrica Foto Fairとして展開、国際標準のプリント環境を大陸に広げるAfrica Print Houseも手がけている。日本発の企業との関わりでいえば、ムルネ自身がキヤノンのブランドアンバサダーであり、Addis Foto Festも、同社が2014年に始めたアフリカ人材育成事業「Miraisha(ミライシャ)プログラム」と当初から連携してきた。彼女は、外部の機器メーカーの技術や資金を主体的に活用している。

[9] UPPA/EAPAもまた、キヤノンのMiraishaプログラムと結びつきがある。同社は2015年以降、Miraishaを通じてこれらの賞のイメージングパートナーを務め、機材提供やワークショップを担ってきた(近年はフジフイルムなど他社の協賛も加わっている)。

[10] この展示が、リクルートという大企業が運営する東京駅八重洲南口直結のアートセンターBUGで開かれたことに鑑み、日本の経済界とアフリカの美術に関しても触れておきたい。近年、企業のアフリカ進出の足掛かりとして展開される美術事業は増えており、新設例に豊田通商らの「THE TOYOTA TSUSHO CFAO African Art Award」がある。2026年の第1回には5名の受賞者が選ばれ、展示がロメ(トーゴ)を起点に東京・パリへ巡回する。アフリカの若手を対象に大陸に展示起点を持つプラットフォームの創出という点において意義があるが、欧米と日本の有力キュレーターが選者とし、外部のクライテリアをまた一つ増やすという側面もある。また受賞者がすでにヴェネツィア・ビエンナーレなどの国際芸術祭で評価を得ているアーティストであるなど、アートワールドの評価の後追いの側面も否めない。脱植民地的な観点からは、アフリカを搾取しながら蓄えられた豊かさを返すこと、その返し方の主権を地域の人々に渡す取り組みが重要だが、それにはサプライチェーンのどこかに組み込まれている一人ひとりの顔を見ていくような地道な取り組みが求められる。本展のBUGでの実現は、そうした地域に根を張る美術事業が、困難ながらも実現可能であるということを示すことにもなった。


謝辞
本稿の執筆にあたり、東アフリカ・ウガンダの首都カンパラをフィールドに都市研究を行う中垣太樹氏(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)にご助言をいただくとともに、ウガンダ発の写真賞についてご教示いただいた。記して感謝申し上げる。



中村融子/Yuko NAKAMURA
京都大学CAAS特任研究員

東京大学法学部卒業後、京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科にて修士号と博士号(地域研究)を取得。アフリカ現代美術を起点に、美術と非美術の境界線と地域の関係について、特にやきもの(陶芸)に焦点を当てながら研究している。ベナン・フランス・日本でフィールドワークを行う。