第4回BUG Art Award 最終審査レポート

(2026年10月15日公開)

第4回BUG Art Awardの最終審査を、2026年9月15日(火)15:00〜19:30に実施しました。審査の様子はオンラインで生配信しました。本レポートでは、その様子を要約してお届けします。

 

第4回BUG Art Award 最終審査の流れ
(1)ファイナリストによるプレゼンテーションと、それに対する審査員からの質疑
(2)審査員によるディスカッション
(3)1回目の投票(審査員1名につき2票)
(4)投票理由の説明、ディスカッション
(5)2回目の投票(審査員1名につき1票)
(6)投票理由の説明、最終ディスカッション
(7)グランプリの決定

第4回BUG Art Award ファイナリスト

大塚珠生
齊藤美帆
さとうくみ子
鈴木一生
竹内佐実
Moche Le Cendrillon
※プレゼンテーション順・敬称略

第4回BUG Art Award 審査員

内海潤也(石橋財団アーティゾン美術館 学芸員)
沢山遼(美術批評家)
能勢陽子(東京オペラシティアートギャラリー シニアキュレーター)
百瀬文(美術家)
やんツー(美術家)
※五十音順・敬称略

プレゼンテーション・質疑応答

大塚珠生「Connected Bodies」

 

貝をモチーフにした形のオブジェを被った女性の彫刻家2人が、台座の上で彫刻になるというパフォーマンス作品。普段制作している時に感じる、粘土をいじったり、ゴミを拾ってきたりするような彫刻的な他者と戯れる行為と、おとなしく力強いオブジェとしての彫刻そのものが、かけ離れていることに違和感があった。そこで、身体を接続するための器官としての彫刻を制作し、それを被って、主体であると同時に客体でもあったカミーユ・クローデルの作品になることで作る、作られるという固定的な関係を曖昧にしたいと考えた。BUGで展示してみると、美術館や彫刻という言葉がない場所では、作品が身体を持ったパフォーマンスとして認識されることが多いと感じた。そのため、近代彫刻を前提としたパフォーマンスとして見てもらえるようにステートメントを変更。また、何度もパフォーマンスをするうちに身体が慣れて最初の緊張感がなくなっていったため、最初にパフォーマンスした時くらいの辛さを迎えるまではポーズを変えないというレギュレーションも追加した。
グランプリ個展では、映像とパフォーマンスを通して、搾取する側と搾取される側の反転がずっと続いていくような展示をやりたい。次は、ミケランジェロの《奴隷》になりたい。《奴隷》には、労働行為と自分が純粋に作りたいものとの差異の両方があると感じていて、今はそこに興味がある。

Q.審査員「貝という形は、どういうところから出てきたんですか?」
A.大塚「私のイメージとしては、貝は身体であり、お家のような感覚だったので、外と中をつなぐもの、どちらも意味を持っているものという気持ちが一つありました。あと、巻き巻きのビジュアルが三半規管にも似ていて、水平垂直のバランスを取るということと彫刻とパフォーマンスということがつながっていくかなと思い、貝にしました」

 

Q.審査員「カミーユ・クローデルというモチーフが先に来ているのでしょうか?それとも、彫刻に対する主体と客体の問題が先にあったのでしょうか?」
A.大塚「カミーユ・クローデルが先だったわけではないです。貝で人がつながるというところの、そうなったことを想像した時の自分の感覚みたいなところが最初にあって、そうすれば私が今抱えている問題が解決されそうだと思いました。それにはどういう彫刻家がいいだろうと考えた時に、クローデルがいいかなと思いました」

齊藤美帆「通気孔より」

 

作品が完成した時、知らないものが突然現れた、どこか遠い地点から知らないものが運ばれてきてしまった、というような感覚があった。今回は、自分にとって未知の素材・技法だった漆喰を用いて制作した。思い通りにならない素材だからこそ、制作する中で対話ややりとりが必要になり、なんとか受け入れ合いながら作られていった感覚がある。会期中には、作品の周りにござを敷き、参加者と約40分間ぼんやりするワークショップも行った。作品と正面から対峙して見続けなくても、背を向けながら同じ空間にいて、その存在を体のどこかで感じている。それも作品と共にいる一つのあり方なのではないかと感じた。
グランプリ個展では、特に何にもならない物体が、ただ置かれるためだけの場所になったこの空間を見てみたい。周辺には何かのためのものがたくさん存在しているからこそ、その状況全体から感じられるものがあると思う。また、新しく作り出してしまったもの、作り出されてしまったものをないがしろにして、さらに新しいものを作り出すのではなく、一度立ち止まって、その場で時間をかけてまた考えることも、今抱いている思いの一つである。

Q.審査員「『通気孔より』というタイトルの由来と、この形がどう生まれたのかを教えてください」
A.齊藤「ピラミッドには通気孔が空いていて、その下に巨大な地下空間が広がっている可能性があるということをどこかで読んで、この作品もそういうものになったらいいなと思っています。何のために作られたものなのか、その下に何が広がっているのかはわからないですが、作品を観る人がどこか遠くの営みに思いを馳せることができて、何かのためのものかもしれないけど、自分にはそれと関係ない、そこにただあるものとして見ることができる、みたいなことを含められるかなと思い、このタイトルをつけました」

 

Q.審査員「新たに作品を作り出すことに対する疑問があるということで、もしグランプリをとったとしても個展を開かない、という選択肢はありますか?」
A.齊藤「その選択肢については考えていませんでしたが、ちょっと考えたいかもしれないですね。何かを行うことによって損なわれるものや、新しく生み出すことによって損なわれるものが最近すごく気になっていて。大きいものを作るということは、それだけの大きさの産業廃棄物を生み出してしまうということでもある。個展を行うために作られ、捨てられていくフライヤーとか、そのためのガソリンとかを考えると、個展をやらないという選択肢もあるのかなと思いました」

さとうくみ子「『耳ほり』のおはなし」

 

自分が、耳ほりの何が好きなのかを考えるところから制作を始めた。耳をこしょこしょされる時の気持ちよさや、耳垢が取れる時の嬉しさが好きだけれど、耳ほりは毎日楽しめるものではない。そこで、毎日耳ほりを楽しむにはどうしたらいいのかを考え、人間の約100倍の大きさの耳を持つアフリカゾウへと想像を広げていった。作品はドローイング、立体、映像の3つで構成している。中央の筒はゾウの鼻、上の黄色い部分は頭で、その左右に耳がある。下部で展開される3つの物語が鼻の穴から吸い上げられ、それらが合わさることで、耳から大きなものが出てくるような構造になっている。映像は当初、壁に投影する予定だったが、それでは作品映像を観るという感じが強くて説明的すぎると思ったため、立体の中に取り込んだ。鑑賞者が作品に近づいて覗き込む時間を作り、観る人がこのお話に少し吸い込まれていくような感覚にしたいと考えた。
グランプリ個展では、これまで作ってきた「相棒」の一番大きなバージョンを制作したい。BUGの中だけでなく、相棒と東京駅の周りを一周したり、これまでの相棒たちを集合させたりする。普段は外の空間を一周しているが、BUGの中にも自分の風景を作り上げ、その風景の中を一周してみたい。

Q.審査員「『相棒』という言葉が、面白いと思いました。親友でも恋人でもない、別の親密さがそこにはある気がするのですが、さとうさんにとって相棒とは?」
A.さとう「一人で遊びに出かけた時に、たまに一人だと心細いというか、寂しいなと思って。友達だと誘いづらいけど、相棒だったら私のわがままに何も言わずについてきてくれるというか。人ではないけれど、自分の作ったものだから愛着があるもの、というのが私の中の相棒のイメージです」

 

Q.審査員「ある意味機能的に見える作品ですが、その機能についてはどのように考えていますか?」
A.さとう「例えばこの作品だと、自分では耳の中は見えないけれど、耳が動くことで、自分で耳の中を見ながら耳ほりができる。普段できないことができる、みたいな感じです。大きくなった耳をこの棒でほりほりすることで、実際に耳垢は取れないけれど、それを楽しむ時間が生まれます。一般的な意味はないけれど、自分の中ではすごく意味があって、耳ほりに対する自分のポイントみたいなものを詰め込んでいます」

鈴木一生「道具と使い方2026-抜里編-」

 

使い方のない道具を制作して、静岡県島田市川根町抜里の人たちに渡し、その使い方を考えてもらうプロジェクト。民具が好きで、道具自体もそうした自分の美的判断から生まれている。土地の人にとって身近に感じるものもあれば「うん?」となるものもあり、道具を介することで、それぞれの人の使い方や人間性のようなものが見えてくる。これまで富山や栃木、西会津、抜里などさまざまな土地で制作してきた。現代ではIKEAや無印良品のように広く流通するものも使われていて、土地ごとの差異を簡単に定義することはできない。それでも、実際にそこに滞在して人と関わることで、言葉にはならない、その土地に根付いたものが見えてくると感じている。今回の展示では、1つの道具と1つの使い方に焦点を当てたため、抜里で過ごす中にあったどうしようもない時間や、人が使い方を考え続けている時間などをあえて切り捨てている。
グランプリ個展では、今回の展示でこぼれ落ちてしまったものも扱いたい。映像、ドローイング、言葉の記録や日記、実際に道具を使う瞬間などを含め、1個の道具に対して1つの使い方だけを提示するのではなく、空間全体を使って展開したい。

 

Q.審査員「今回の展示で達成できていないことを、グランプリ個展ではどこまで達成しようとしているのでしょうか?また、今回割り切って捨てたものは何ですか?」
A.鈴木「例えば、おじさんが道具の使い方をずっと考え続けているシーンみたいなところ。そこが一番重要な部分だとは思うんですが、今回は1個の道具に対しての使い方というところを目指していて。個展プランでは、そういう本当にどうしようもない時間とかを映像だったり、ドローイングや言葉の記録だったり、日記みたいなものだったり、実際に道具を使う瞬間だったり。1個の道具に対してその使い方だけという風には断定せずに、空間全部を使って展示したいと思っています」

 

Q.審査員「道具を作る時に、使い方の余白を残すためのルールや条件はありますか?」
A.鈴木「道具を渡した時に、作品であるという捉え方よりは、道具というふうに扱ってほしいので、ある程度のものとして使えるくらいの強度を意識しています。あとはアフォーダンス的に、ここを握ってみたいと思えるようなところや、自然とそうしてしまうような部分を道具の中に残したり、残さなかったり。分かりすぎないようにしつつ、分かりやすいところも作る。基本的には僕は民具が好きなので、そういうセンスや美的判断を取り入れながら制作しています」

竹内佐実「立つ人」

 

幼い頃から身近に見てきた、ムスリムが礼拝する時の立ち姿をもとに制作した作品。鉄で作った人型の彫刻は、BUGではメッカの方向を向けて並べている。一方、海岸で撮影した写真では、ムスリムかどうかということから離れ、ただみんな立っているという状況にしたかったため、特定の方角ではなく海の方向を向かせた。人物には身体的な特徴や性別をできるだけ持たせず、すべて同じサイズにしている。人間は全て同じという実体験から得た感覚を形にしたかったからだ。また、錆びた金属の人型を等身大で横一列に並べると威圧感が出てしまうため、今回は小さなサイズにした。海は自分にとって、世界と繋がっている場所でもある。トルコで暮らしていた時、イスタンブールのボスポラス海峡ではいろいろな文化が混ざり合い、トルコにいながら世界を感じることができた。日本でもそれと似た場所を探したいと考えた。
グランプリ個展でも人と場をテーマにする。等身大の人物像をBUGの空間に多数立たせ、そのうち一体はトルコで制作して日本へ運び、日本で生まれた像の中へ混ぜることで個と集団についても考えたい。

Q.審査員「海というモチーフは、竹内さんにとってどのような意味を持っていますか?」
A.竹内「海は、世界と繋がっている場所だと思っています。トルコに住んでいた時、イスタンブールにはボスポラス海峡があって、そこにはいろいろな文化が混ざっていて、トルコにいながら世界を感じることができる場所でした。日本でも、それと似た場所を探したいなと。向こう岸に陸があるし、みんな海の方向を向いて進んでいるような場所に立たせることが、イメージとして繋がったというのがあります」

 

Q.審査員「グランプリ個展で制作する等身大の人物像は、すべて同じ形になるのでしょうか?また、トルコではどこで制作する予定ですか?」
A.竹内「すべて同じ形で作ろうと思っています。ただ、型を取るのではなく、一体一体僕自身が作る。その中で、一体一体作るとちょっとした変化も生まれると思うんです。そこもうまく表現できたらと思っています。トルコで制作する一体は、イスタンブールで作ろうと思っています。文化があるという意味でも、自分が生まれた場所ではないけれど、いた場所という意味でも、イスタンブールで作りたいです」

Moche Le Cendrillon「輝く鱗の肌でもいい」

 

Aro・Ace(アロマンティックアセクシュアル)という、他者に恋愛的・性的な惹かれを感じない、あるいは感じにくいセクシュアリティのスペクトラムと、自分がドラァグをする動機を起点に作品を制作した。Aro・Aceのモチーフであるドラゴンになるドラァグの映像と、同じスペクトラムにいる人たちとのおしゃべりの映像を組み合わせている。以前の展示では、大画面への投影と衣装展示を行っていたが、広く開けていて暗くすることが難しいBUGの空間に合わせて再構成。ドラァグというと男性性や女性性を誇張するものもあるが、自分が関心を持っているのは、そのどちらでもないクリーチャーのドラァグ。装っても装っても、生身のどうしようもない身体があるということを象徴するパフォーマンスとして映像を制作した。
グランプリ個展では「明日の健康」と題し、健康管理アプリのAI管理栄養士と、クィアでファットな身体を持つ自分とのラブロマンスを構想している。Aro・Aceのポリティクスは、恋愛や性愛の形や存在そのものが自明ではないと言えることにある。標準化されたAIと、管理される身体との関係を通して、身体や関係性を管理したくなること、そしてそれを求められる社会を描写したい。

Q.審査員「Aro・Aceというアイデンティティを持ちながら、ラブロマンスを演じるというねじれ自体に皮肉が込められているのでしょうか?」
A.Moche「Aro・Aceのポリティクスは、アイデンティティであること以上に、恋愛や性愛というものの形や、その存在というものが自明ではないと言えることが一番強いポリティクスだと思っていて。これもラブロマンスとは題しているんですけど、自明のものとしての恋愛を描いてはいなくて。ファットの身体を管理したいと願うことと、標準化されたAIというものに何か惹かれることの描写を通して、身体や関係性を管理したくなってしまう、それを求められる社会みたいなものを描写できないかなと思っています」

 

Q.審査員「ドラゴンになることで、人間の身体から抜け出せるような感覚はあるのでしょうか?」
A.Moche「ドラゴンというモチーフは、Aro・Aceの象徴として皮肉的に使っています。社会の中で恋愛や性愛から遠い人間はいないものとされていることを、架空の生き物であるドラゴンで表している。自分も本当にそうなりたいというか、人間の姿でいるのが嫌すぎる、みたいなところがあるんですけど、どうしようもなく人間の身体でいなければいけない。パフォーマンスはそれを解決してくれるわけではないけれど、そのどうしようもなさの中での一つの手段ではあります」

ディスカッション

プレゼンテーション終了後、審査員5名によるディスカッションを実施。展示作品、グランプリ個展プラン、プレゼンテーションの3点をもとに、プレゼンテーションとは逆順でファイナリスト一人ひとりについて議論しました。

Moche Le Cendrillon「輝く鱗の肌でもいい」について

 

「ドラゴンというモチーフは、すごくいい。フィクショナルな生き物であることに加え、家畜化されていない動物であることも重要なのではないか。古今東西にこんなにもいるのに『いない』ことになっているもの。その象徴性をもっと強く押し出してもいいと思う」
「ドラァグでは、男性性や女性性を強調する傾向が強いけれど、Mocheさんがやろうとしていることは、ドラゴンという動物をメタファーにして性を超える方向性。その部分にはとても関心がある」
「Mocheさん自身の身体性が、そこに存在しているからこその強さがある。一方で今回の舞台装置が映像を観るセットになってしまったことで、その身体性が少し後退してしまったように感じた」

竹内佐実「立つ人」について

 

「礼拝という具体的なモチーフから出発しながら、竹内さんが見ているのは人が立っているというもっと根源的な状態なのではないか。写真と彫刻をどう組み合わせるかによって、その広がりが変わってくると思う」
「東京駅という多様な人が行き交う場所で展示することで、作品に新しい意味が生まれている。個展で人物が等身大になった時、その身体が空間にどう立ち上がるのかを見てみたい」

 

鈴木一生「道具と使い方2026-抜里編-」について

 

「作品としてきれいに整理されたことで、抜里で実際に起きていた摩擦や、どうしようもない時間が取りこぼされているのではないか。そのきれいすぎる部分を、個展でどう扱うのかが気になる」
「一方で、鈴木さんが何かを教える、啓蒙する立場になるのではなく、土地の人との関わりによって自分自身も変容していくことが重要だと思う」
「文化人類学など、美術とは別の領域の研究者とも関わることで、このプロジェクトが鈴木さん個人から離れて、ラボのような別の主体を持って立ち上がる可能性もあるのではないか」

さとうくみ子「『耳ほり』のおはなし」について

 

「独自の世界観がすごくしっかりしている。グランプリ個展で相棒と東京駅周辺を歩くことで、BUGの活動自体が展示室の外へ愉快に広がっていく可能性がある」
「耳ほりという非常に個人的で身体的な快楽から、ゾウや巨大な耳へと妄想が展開していく。その飛躍を説明しすぎず、立体、映像、ドローイングのズレとして見せているところが面白い」

齊藤美帆「通気孔より」について

 

「何の役にも立たない、何にもならないものがそこにあるということが重要。現代美術にも社会的な有用性を求めるプレッシャーがある中で、その余白そのものに意味がある」
「個展をやらない可能性まで含めて話したことが印象的だった。大きなものを作ること、展示すること自体を問い直しながら、それでもこの物体がそこにある。その矛盾を抱えたまま考えていける作品だと思う」

大塚珠生「Connected Bodies」について

 

「生身の身体が大理石に拘束されるという個展プランには、人間・自然、支配する・支配されるという二元論だけでは整理できない複雑な緊張関係がある。さらに美術に拘束されている身体という読みもできる」
「パフォーマンス自体が非常に強い。劇的に照明が当たり、人間が彫刻になっている姿には視覚的な強度がある」
「カミーユ・クローデル、そして次にミケランジェロという長い彫刻史と自身の身体を接続しながら、現代美術だけに閉じずに美術の歴史の中で現在を考えようとしている点に期待したい」

投票

ディスカッションの後、審査員による1回目の投票を行いました。

◼︎1回目の投票結果
審査員1名につき、ファイナリスト2名を選出。

内海:齊藤さん、竹内さん
沢山:齊藤さん、鈴木さん
能勢:大塚さん、さとうさん
百瀬:齊藤さん、鈴木さん
やんツー:大塚さん、鈴木さん

 

→大塚さん2票、齊藤さん3票、さとうさん1票、鈴木さん3票、竹内さん1票

票は齊藤さんと鈴木さんに3票ずつ、大塚さんに2票、さとうさんと竹内さんに1票ずつと大きく割れました。まずは、それぞれの審査員に選出理由を語ってもらった。

 

内海「これまで審査した回と比べて、甲乙つけがたいファイナリスト展だった。グランプリ個展を通して今も抱えている問いを持ち続け、さらに大きくアプローチしてほしいという観点から齊藤さんと竹内さんを選出した」

やんツー「グランプリ個展で見てみたい人という観点から、展示しきれなかったものを含めた鈴木さんの作品と、パフォーマンスと彫刻の次の展開を見たい大塚さんを選んだ」

沢山「完成度の高さよりは、余白というか、風通しの良さ、余地、遊びの部分が感じられる作品を基準として齊藤さんと鈴木さんに投票した」

能勢「個展を見てみたいかどうかと、個展がイメージできること、さらには独自性、今の現代美術において作品を見せ続けてほしい作家であるかどうかという観点から大塚さんとさとうさんを選出した」

百瀬「アーティストがアーティストでありながら、同時に一人の人間でもあることをどこまで引き受けながら制作できるかという観点から、まさにその変化の渦中にいると感じた齊藤さんと鈴木さんに投票した」

 

その後、1名に絞る方法について審査員間で長い議論が続いた。単純な得票数だけで決めるのか、3票を獲得した2名に絞るのか、それとも全員を残したまま1人1票を投じるのか。審査員ごとに現在の展示、個展プラン、作家としての今後をどの程度重視するかも異なることが改めて共有され、最終的に6名全員を対象として一人1票を投じることとなった。

◼︎2回目の投票結果

内海:齊藤さん
沢山:鈴木さん
能勢:大塚さん
百瀬:鈴木さん
やんツー:鈴木さん

 

→大塚さん1票、齊藤さん1票、鈴木さん3票

投票後、改めて審査員が一人ずつ投票理由を語った。審査員全員の合意を確認し、第4回BUG Art Awardグランプリは鈴木一生さんに決定した。